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わたなべさん

  • 執筆者の写真: 小林真生
    小林真生
  • 20 時間前
  • 読了時間: 4分

私の地元には大量のわたなべさんがいる。古来沢山いるらしい。現に富士北麓地域を支配している。いくら外人が押し寄せたってわたなべさんに波は立たない。朝方の河口湖のように澄ましてこそわたなべさんである。



 学校の一クラスに40人いれば5人くらいのわたなべさんが生まれる。私はわたなべさんと労苦を共にしてきた。ただし、私が小学校に入学したときには1人のわたなべさんしか生成されなかった。30人クラスだったから仕方ない。小林は4人いた。小林じゃ争って食ってけないと思った。ちょっとしたら小林とわたなべさんが1人ずつ増えた。ただ小林は強いという気がした。年を跨ぐごとにわたなべさんの知っているのが増えていった。小林は段々珍しくなった。


 あるわたなべさんはよく喋った。私に対してもよく喋った。ただし授業中は黙った。私は授業中も喋ったから変人の地位を確固とした。不良たらんと欲す者、世間的常識はよく弁える。不良の認定を行う者は社会である。社会基盤を支える勢力でなくては不良になれない。根本的な悪者格ならば悩み悩むだけで若き日は消え去る。信じる者は救われる。


 又あるわたなべさんは不良的合作のために徒党を組んだ。授業中にスマホで遊んでいたのが功を奏し、他のわたなべさんの説教が実現した。このわたなべさんとは教師である。変人はつついても狂った位相から調ってくれない。だから私は、こんな怒られ方はしなかった。


 あるわたなべさんはよく泣いた。私は共感できた。共感できるから喧嘩した。共感を俎上に載せるのではないが、何か気に入らなかった。到底歯が立たんと思ったから、他のわたなべさんをいじめた。このわたなべさんとは下級生である。


 あるわたなべさんは騒然を趣味とした。冗談の下手さを材料とした錬金術的熱変換能力で遭った全人の記憶にその名をとどめさせた。花の咲かないたんぽぽに生きろと命じたら、相当強靭な根が出来上がるに相違ない。初めて会ったとき、私は謎にこのわたなべさんを好いた。年下をいじめる同士であったからであろうか。6年振り程に再会するのがあった。驚愕の根には一切の変化がなかったが、私は好かなくなっていた。


 あるわたなべさんは音楽の力を信じていた。音楽的理想郷に自分を見出していた。フルートを吹いたし、フルートを吹くように喋った。何でも流暢にした。流暢に私を音楽の門前に立たせた。門に入れた積でいたし、私も入っていた。私に生きろと命じた。しかしよく喋った。


 あるわたなべさんはもう一人の門番であった。両人邸内で忙しければ、門は勝手に人の解釈を受付ける仕組みになっていた。生きなければならない私は観察に徹した。観察にこそ作曲の動因がある。するとこのわたなべさんがギターをはじきたおすのに余念のない生活をしていることに、気付いた。尤もわたなべさんのギターを持っているのは識らない。しかし仕草は常にギターのはじきたおすのを語るものであった。


 ――音楽家は、傲慢でなければならない。

 あらゆる人の悩み気持ちに戯れて、嘲笑しなければならない。

 理解するために、知った気持ちでいなければならない。

 逆に自我を棄てなければならない。

 棄ててなお自分を語らなければならない。

 作曲上、執筆とは傲慢である。――


 わたなべの名は教員より豊富な資源である。休み時間や掃除の時間に「わたなべさん!」と言えば必ず誰かが振り向いてくれる。新任教師の助けになる。授業中に「わたなべさん!」と言えば複数人が手を挙げる。記憶のためには妨げになる。


 あるわたなべさんには「わた」というあだ名が付いた。奇跡だと思う。


 上京してから、あるわたなべさんと出会った。オンライン授業で初めて顔を合わせた。これはただのわたなべさんだと推測した。つまり同郷の子に遇った偶然を心中におどらせた。違った。しかし今でもルーツは同じだろうと推測している。外してもまた何か推測する積である。


 あるわたなべさんには「一生ついていく」と言われた。ずっと憶えている。


以上

 
 

​小林真生は音楽をする人

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