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小林真生のサイト内ブログ
こちらは書きものの一覧になります。何か気に留まることがあったときに記録したり、何かをお知らせしたりする、その他も多々なる雑記になります。


余裕条々(余裕についての随筆)
私の中学の3年間は短かった。高校の3年間は圧倒的に長かった。 世間の人はよく一年を「短かった」とか「あっという間だった」と評す。今の私のそのような感覚はあまりない。一日の暮れるのがあっという間だったとか、精々一週間くらいの伸縮評価ならしているが、それが365日もある単位になると、どこかで幅を会得した節がある。全体像を把握している。振り返れば365日は365日として淡々と流れている。 日々に乗じる生活は淡々としない。忙しいときもあれば閑なときもある。忙しい日々は内部に大変が詰まっているのでその存在は問題にならない。閑な日々は問題を抱えている。少なくとも私には、余裕が感じられないのである。 今年の3月はほぼ寝転がって過ごした。お菓子かコンサートのためばかり街へ出た。そうなるとやはり考え事も込み入った。この状況のことを余裕のある生活というんだろうという考えはいつも意識にあった。しかしどうしても、余裕であることを実感できなかった。常に何かに追われている気がした。俗に「将来に対する漠然とした不安」とか言うので、それだろうと思った。こうなると兎に角「大
8月18日読了時間: 4分


ある芸人(イメージについての随筆)
半月程前、たまに対峙する壁に某君の顔がはられた。某君のことは芸人として識っていた。実力派であると見えた。実力派であることはいつの間にか憎らしくなっていた。 某君のポスターは「初期」風の印象を私に想起させた。この「初期」とはどこまでも一般的な概念である。某君の初期など知らない。物事の活動の「初期」であり、私と物事の関係の「初期」にあたる感触が、そこで惹起されたのである。私が初めて某君を見たのは何であったか、まるで思い出せない。しかし惹起された「初期」の感は、真実として複数を提示した。その全ては表皮に「ビジュアル」の片仮名を刻んでいた。表皮はいつも自ずからむけた。顔面の丸とともに「表情」の2文字が現前した。2文字には両眼より少し長い距離があった。私の憧れは、ここに抑え付けられた。 尤も、私は数年来テレビを持たない。某君のことは見かける以上に調べたこともない。断片的感情は、某君の名前とは無関係に私の世界に浸透していた。名前は名前だけ借りて感情の支配者としていた。 結局、私の視覚にはいつも某君的な要素があった。そしてポスターが与えられると、私はどこ
8月10日読了時間: 3分


自己に対する信仰心の件(人生についての随筆)
――私の持たざる物の正体は何か。 ――社会に帰すべきものかもしれない。 癪に障る塾の嫌悪の感を抱きながら乗った帰りのバスで、小学生時代の私を数で圧倒してくるような、赤黒い靄のような、今となってむしろ得体のわからなる他校の下級生とたまにいる同級生の、喋り声に囲まれながら、外界を眺めたことが想い起される。外界というのも、最もまぶしいのは館を出た後すぐ目を惹きつけたグラウンドと、いやに明るくて夜成に不安になった、グラウンドを照らす大電灯であった。グラウンドにはおそらく、同級生の男子が集っていた。サッカークラブの練習風景であった。 私も同類であるべきであった。グラウンドをひょっこひょこうごめく斑点の様な物体と、同類の少年であるべきであった。それも自己の責任で追求すべきであった。 怠惰を自慢していた。私が自慢していたし、同級生もしていた。現在の私はあまり自慢していないが、周りの人はしている。私は自慢すべきでなかった。 確かに同級生は怠惰であった。しかしその或者は内的な向上心をもって勉強に取り組んでいた。他の或者は勉強を放棄した。それも度胸である。
8月9日読了時間: 3分
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