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小林真生


心象列車
愛なくして現代の都会を生きている。 得体のしれない隣人の、幸せから願わない私であるが、そしてこの都会に関心があるわけではなく、望むなら離れたいところでもあるが、そこに集まる美しいものに興味を持ち、面白がりながら生きている。 未だに文化を会得しない。 美しいものにはただそれ以上に意味をあてつけていない。 良いだろうが、他人はそれを寂しいというのかもしれない。 かつては、美というものはどこか切実に思われたのであろう。 私のような温室育ちには、古い家屋の断熱性のないこと、冬になるとよく冷えることは技術的欠陥であり、克服すべき不便のように感じられた。 そして歴史上、一般的室温の向上が文明の発展を象徴しているという説をどこか疑いつつ、多く共感した。 しかし、そう克服しようとして感じるのに美はないことがわかった。 物質的に不便なとき、美があるから実際の寒さが防げたり、忘れられたりするわけではない。 一方で、より良い生活への憧れに美があったわけでもない。 その生活苦に因果がない上に、何かを面白がる習慣が自然とあったのであろう。 あらゆる要請によって、東京には様
6 日前


心の喩え
心に響く、心が温まるなど、字面だけいくらでも受け取って、自分でいくらでも心に残る何とかについて語ってきた。 ちなみに「精神」という言葉も使っていて気になったことがあり、それが感覚としてどのようなものなのかわからなかった。 これを解釈するのがある種の「魂」と「霊」の関係であるといえる。 つまり、「たましい」を個の核とするならば、霊や気や精神は何らかの作用なのであろう。 生命を動かす霊は固まった形がない。 実体というより、「流動的なエネルギー的作用」といったところ。 それを束ねるか何かして、連続性を維持するのが魂といったところ。 魂があり、その働き、つまり霊が自分内外に流れ、世界とつながる。 精神にあたるのが、西洋語では spirit や Geist などである。 聖霊 heiliger Geist の概念もあるが、やはり個としての Soul や Seele という核の外の普遍や原理であることがわかる。 精神性といったら、それは働きである。 頭なのか、心臓なのか、それとも体から少し離れたどこかなのか、どこかに突き詰めた感覚がなくても仕方がない。...
2025年12月24日


来歴
大学学部卒業までの来歴を、憶えている動きや、その都度の考え事に沿って記しました。 街角にて ● 就学まで 2003 年 1 月、生まれる。幼稚園に通う。入園のいきさつなど記憶になく、気がつけば園児である。同様に音楽教室にも通った。およそ小学校入学の数年前くらいに、富士北麓...
2025年5月6日
小林真生のサイト内ブログ
こちらは、ブログ記事の一覧になります。何か気に留まることがあったときに記録したり、何かをお知らせしたりする、雑多なブログになります。
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