ある芸人(イメージについての随筆)

更新日:5 日前
半月程前、たまに対峙する壁に某君の顔がはられた。某君のことは芸人として識っていた。実力派であると見えた。実力派であることはいつの間にか憎らしくなっていた。

某君のポスターは「初期」風の印象を私に想起させた。この「初期」とはどこまでも一般的な概念である。某君の初期など知らない。物事の活動の「初期」であり、私と物事の関係の「初期」にあたる感触が、そこで惹起されたのである。私が初めて某君を見たのは何であったか、まるで思い出せない。しかし惹起された「初期」の感は、真実として複数を提示した。その全ては表皮に「ビジュアル」の片仮名を刻んでいた。表皮はいつも自ずからむけた。顔面の丸とともに「表情」の2文字が現前した。2文字には両眼より少し長い距離があった。私の憧れは、ここに抑え付けられた。
尤も、私は数年来テレビを持たない。某君のことは見かける以上に調べたこともない。断片的感情は、某君の名前とは無関係に私の世界に浸透していた。名前は名前だけ借りて感情の支配者としていた。
結局、私の視覚にはいつも某君的な要素があった。そしてポスターが与えられると、私はどこか不自由を感じてしまった。同時に一種の解放感を覚えた。
ポスターの某君と面を会わせるのは週に1、2回の事情を持ったときである。つまり未だ数回の域を出ない。最初に見付けたときは記憶の中の某君と照合するのに時間がかかった。某君は顎から左耳を正面として斜めを向いている。鼻を狙うと、相手の視線が整った髪と連帯して照準を損なわせる。最初は黒髪の全体を把握して立ち去った。
次の対峙の際には、髪を分析しようと試みた。どこの髪も、記憶より黒目の直径分くらい長かった。右の黒目が髪に囲われ、陰の寸前に据わっているのが最も印象に残った。右眼には某君の現代人たる相がよく表れていると思った。同時に某君の創作物である気がした。私は考えたくなくなった。
次に、一種の決心をして某君に立ち向かった。帰路としてポスターの前を通った。某君の居場所は日陰に、赤黒い壁をしばらく耐えて歩んだ先にある。陽光と別れる瞬間、脳裏にあらゆる下品を想起せよという命令の下った気がした。能う限りの5文字を混ぜ合わせ、ぬめぬめとさせた。砂浜のような肌に黒の泥を持ち込む気でいた。某君の顔を泥の色として、嘲笑しにかかった。
某君の顔はすこぶる弱かった。暴言を真正面から受け取り、否応なく傷付いているように見えた。
ポスターの中の某君は、笑いなのかよくわからない表情をしている。唇は結び目から綺麗に締まっている。遠く陽光を遮り、白地に浮かぶは桃色である。
以上



