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小林真生とつながる場所の存在

  • 執筆者の写真: 小林真生
    小林真生
  • 2月25日
  • 読了時間: 3分

 YouTube のメインチャンネルで 2 日ごと、雑談チャンネルで毎日の動画更新をしている私。ここ最近、新たに公開した動画の再生回数が極端に少なくなる現象が発生している。今日・25 日現在、具体的にはメインチャンネルの最新 2 本、雑談チャンネルの 4 本がそれにあたる。いまアナリティクスを確認してみると、どうやらインプレッション関係の問題が生じているらしい。「インプレッション数」は動画サムネイルが一定時間表示された(=ユーザーの目に留まったとされる)回数であるが、その数値が普段の 10-30 分の 1 くらいに、極端に少なくなっている。とくに雑談チャンネルでの何らサムネイルとタイトルのスタイルに変更がない条件からみるに、これはかなりをアルゴリズム側が負っている現象だといえる。


標識と夕焼け

 雑談チャンネルはただそれだけなので結構なのですが、メインチャンネルの場合は、客観的にみてその質と再生回数が見合っていません。音楽作品が求めているような人数と質の視聴者を獲得できていません。その露出までアルゴリズムに左右されている現状であるのは、残念なことです。


 さて、YouTube の閲覧履歴を見てみる。好きな誰それの動画、とくに直近で公開された動画、そういえば何日前の動画が面白かった、というものがある。フィードや通知で更新があるとそれを見にいくわけで、例えば昨日に見た動画も、そもそもが当日か前日くらいに出てきたものだったりする。もっとも、「今ここ」から更新を追いかけ続けるのは基本的なやり方だし、時間を共有したい望みは人間らしいものです。しかしたとえ生配信でも、技術的に言うなら遅延時間は避けられないし、作られた動画の場合はその「鮮度」を嗅ぎとっているにすぎません。時間を共有したい望みを直接に叶えるものではなく、それを起点に直近で起こったことを伝えるメディアとして、共感を呼び起こすのです。


 あらゆるメディア(媒体)は、人間の感覚や知覚を時空間に拡張するものです。文字やイメージ、はたまた五感の感覚器官も一種の「媒体」です。言うまでもなくインターネットは「拡張」の典型例です。世界中にネットワークが広がって、サーバーから色々な情報が引き出せる。YouTube を見てみましょう。動画には何日前、何か月前、何年前なんていうラベルがある。それくらい前の動画が保存されているのであり、それを振り返ることができる。一方で、メディアというものは人間の欲望と相補でもあります。まだ一体感が欲しい。インターネットの中で「今ここ」を体感しようとして、そこまでは面白いのですが、道具の仕組みに際限なく振り回されているのです。


 道具は責任もって使うものだ。インターネットの世界とうまく付き合おう。このホームページはその試みの一環であって、独自ドメインの中で音楽作品や楽譜までの導線や、このブログのようなコンテンツを用意しています。サイトの内容を重視するアウトリーチではありません。何かの節で「マオ・コバヤシ・ドットコムで私のホームページが見れるよ」と紹介して、「小林真生とつながる」拠点となる。その存在が重要なのです。ネット上に動画を公開するプラットフォームとして、YouTube 以上に便利なものはないでしょう。データを管理するのは YouTube で良いです。しかし、そのレコメンド機能から飛んでくる視聴者だけ迎え入れるのは勿体ない。リピーターにしても、「登録チャンネル」フィードと通知が少しばかり便利なくらい。質の良い視聴者を求めるのであれば、そのリーチから責任を担おうという魂胆です。その先にあるのが「小林真生でつながる」場所の姿でしょうが、この構想はまだ先のことです。


【当該の動画】


【ピアノ独奏】ファンタジア ハ短調 MWY 385|小林真生音楽作品(新作)


【ピアノ独奏】間奏曲 ヘ長調 MWY 236(2023)|小林真生音楽作品(再録)

 
 

​小林真生は音楽をする人

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